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【任天堂編】家庭用ゲーム機の失敗と成功(全6章)

【任天堂編】家庭用ゲーム機の失敗と成功 連載記事
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※本記事は2019年2月から4月までメルマガで配信した記事の内容を再構成したものです。

任天堂と言えば、日本が世界に誇るゲームメーカーです。任天堂はその長い歴史の中で成功と失敗を繰り返しています。
今回の任天堂編ではこれまで発売された任天堂の家庭用据え置き型ゲーム機の歴史を振り返りながらその成功と失敗の要因を探っていきたいと思います。

第1章 ファミコンの登場

家庭用ゲーム機のパイオニア

今回のテーマは任天堂のゲーム機ですが、2人に質問です。私たち世代にとって家庭用ゲーム機のパイオニアと言えば?

岡崎:「アタリ2600!」

え?何ですかそれ??

岡崎:「え?知らないのアタリのゲーム機???」

「アタリ」のゲーム機ってことは「ハズレ」のゲーム機もあったんですか?

岡崎:「そんなのねーよ!アタリって会社のゲーム機だよ!!」

ごめんなさい。それ売ってたとき私はまだ生まれてないです…

内山:「僕も…」

岡崎:「お前ら…」

内山:「岡崎さん。多分この場合、正解は『ファミコン』だと思います」

さすが内山さん。そうです!ゲーム機と言えばファミコンことファミリーコンピュータです。ファミコン無くして日本の家庭用ゲーム機の話は出来ません。

岡崎:「確かにファミコンが出てからテレビゲームは一般化したもんな」

こんなにすごかったファミコン

今でこそ懐かしのアイテムになっているファミコンですが、実は結構すごかったんです。まず、性能が高性能。

内山:「高性能ってどれくらい高性能なんですか?」

一説によるとアポロ11号のコンピューターよりも性能が上だったそうです!

内山:「マジで?」

メモリ容量は驚くなかれ最大1MBです!!

内山:「え?それだけ???」

岡崎:「現在で言うと画像データと同じぐらいだな」

当時はこれが高性能だったんです。それぐらいの性能で私たちはスーパーマリオやドラクエをやっていたわけです。そして、もう一つのすごさはその価格です。当時ファミコンっていくらだったか知ってますか?

内山:「え?いくらだろ???」

発売価格は14,800円だったそうです。当時の物価からしてこれが高いのか安いのか分かりませんが、「お父さんが子供に買ってあげられる価格」ではあったみたいです。

内山:「ということは、コスパの良さがファミコンが普及した要因ですか?」

それも大きいでしょうね。ただ、私はもう一つ大きな要因があると思っています。

サードパーティーの存在

ファミコンが普及したもう一つの大きな要因。それは「サードパーティーの存在」です。

内山:「サードパーティ?」

岡崎:「ハドソンとかコナミやエニクスとかのことだろ?」

そうです。彼らがソフトを供給してくれたからこそゼビウスもツインビーもドラクエもファミコンで遊べるようになって、それがファミコンの普及につながったわけです。

岡崎:「面白いソフトがなかったらいくらハードが良くても意味ないからな。面白いソフトが出る→ハードが売れる→またソフトが出るって感じのサイクルが回っていたわけだな」


第2章 ファミコンのライバル登場

任天堂一強時代

ファミコンの大ヒットにより任天堂はゲーム機業界のトップ企業になります。そして、90年代に入ると任天堂はその地位を確固たるものとすべく、次の手を打ってきます。

内山:「スーファミことスーパーファミコンの発売ですね」

そうです。私と内山さんはファミコンよりもスーファミの方がお世話になりましたね。

内山:「画像も綺麗になったし、コントローラーのボタンも増えてゲームの幅も広がりました」

岡崎:「当時、PCエンジンとかメガドライブとかあったけど、ゲーム機と言えばスーファミだったよな」

内山:「一般家庭はスーファミでしたね。PCエンジンやメガドライブは裕福な家庭の子が持っているものでした」

ライバル登場

しかし、90年代半ばに入ると王者として君臨していた任天堂の前に強力なライバルが現れます。日本が誇る世界的エレクトロニクスメーカーのソニーがその技術を駆使して開発した「プレイステーション」を引っ提げてゲーム市場に参入してきます。

内山:「プレステは衝撃的でしたね」

岡崎:「だよな~。何て言ったって、ソフトがカセットからCD-ROMに変わったお陰でもうカセットを『ふ~ふ~』しなくて良くなったんだもんな!」

え?そこですか??

岡崎:「そこ重要だろ!お前らもやっただろ??」

内山:「まあ、やりましたけど…」

岡崎:「だろ?で、ドラクエのカセットをふーふーした後、スイッチつけるとぼうけんのしょが消えてるんだよ…」

あれは絶望の瞬間でしたね。昔の子供はあれで世の中の理不尽さを学んだものです。

岡崎:「今の子は分からないかもしれないけど、昔はちょっとしたことで、理不尽にすべての努力が無になる環境でゲームしてたんだよな~」

ちなみにプレステがヒットした要因は「カセットふ~ふ~しなくてよくなったから」ではないですからね。

内山:「そういえば、プレステがヒットした要因って何なんですか?何となく性能が一気に上がって3Dのゲームも出来るようになって、ゲームの幅が広がったからなんじゃないかって思ってましたけど」

性能面での要因もありますが、ヒットの理由は流通面とサードパーティーとの契約面での効果が大きいと言われています。

流通面でのヒットの要因

まず流通面についてですが、ソニーはソフトにCD-ROMを使うことで納品のリードタイムとソフトの製造コストを大幅に削減しました。カセットの場合、基盤の製造・ROMの製造・カセットの組み立てという工程を経てソフトが出来るので、生産のリードタイムも長くなるしコストも高くなります。一方、CD-ROMであれば極端な話データを焼くだけなので、リードタイムもコストも少なくて済みます。

岡崎:「『欲しい!』と思ったときにソフトが買えて、しかも安いわけだな」

そうです。あと、在庫を抱えなくて良いというメリットもあります。在庫を抱えないメリットというのは結構大きくて、在庫を持たなくて良いのであれば「これ売れるかな?」というソフトでも積極的に販売することが出来るわけです。これってユーザー側からするとソフトの品揃えが増えるので嬉しいですよね?

内山:「確かに、ソフトが豊富なら『プレステ買ってみようかな?』ってなりますね」

サードパーティーとの契約面でのヒットの要因

続いて、サードパーティとの契約ですが、ソニーはサードパーティとの契約が比較的緩かったようです。ゲームソフトは売上高の一定額をロイヤルティーとしてゲーム機メーカーに支払わないといけないのですが、それがソニーの場合は少なかった。また、ゲーム開発を行う際には開発機材が必要となるのですが、ソニーはその機材を任天堂の10分の1の価格でサードパーティーに提供していたようです。

岡崎:「それ大きいよな。サードパーティがPS用ゲームを開発したくても、ロイヤルティとか開発費が高額になるんだったら開発出来ないからな」

第1章でファミコンの普及の要因としてサードパーティの存在があったと言いましたが、あれと同じ効果がこれらの取り組みによって得られたわけです。そして、プレイステーションはサードパーティ支援策によって当時の大人気シリーズである「ファイナルファンタジー」と「ドラクエ」の誘致に成功。これが爆発的にヒットします。

内山:「そういえば、当時はプレイステーション以外にもセガサターンも出て結構売れてましたよね。任天堂に取っては苦しい状態でしたね」

そうですね。だから、任天堂も対抗策を打ち出します。それが「NINTENDO64」です。


第3章 任天堂 低迷の日々

任天堂の対プレイステーション対抗策

プレイステーションへの対応策として任天堂はNINTENDO64を発売します。NINTENDO64はプレイステーションやセガサターンにも負けない性能を売りにしていました。しかし、海外ではそれなりに売れたものの、国内では売れませんでした。

内山:「それは何でですか?」

岡崎:「ソフトがカセットだったからだろ?」

いや…。ソフトがカセットだったことはあまり関係が無いと思います。

内山:「だけど、プレイステーションやセガサターンよりも性能が上だったならより面白いゲームが出来るようになって売れるんじゃないかと思うんですけど…」

岡崎:「その面白いゲームが無かったんだよ」

内山:「え?何で???」

ゲームソフトを作るメーカーがいなかったからですね。言い換えると、サードパーティーがついてこなかったからですね。プレイステーションと逆のことが起きてしまったということです。それまで大人気だったドラクエシリーズやファイナルファンタジーシリーズも無くなってしまいましたし…。

岡崎:「本体の任天堂自身もソフト出せていなかったからな。ハードは良くてもソフトが無かったら誰も買わないでしょ?」

ちなみに調べたところ64のソフトは発売初年度で10本、2年目でも43本発売されています。一方プレイステーションは初年度で132本、2年目415本発売です

内山:「10倍も差があるじゃないですか…」

岡崎:「そうだよ。このソフト不足が致命的になって64は上手くいかなかったんだ」

内山:「だけど、どうしてサードパーティーがついてこなかったんですか?」

サードパーティー不在の理由

サードパーティーがついて来なかった理由としてよく言われているはロイヤリティーが高かったという話ですね。あと、これは推測ですがロイヤリティー以外にも任天堂ブランドを守るためにソフトの内容についての縛りもきつかったんじゃないでしょうか…。

岡崎:「そのあたりを嫌がったサードパーティーがPSやSSに行ったってことだな」

あとは、ハードの性能が上がったことで、ソフト開発が難しくなったということも大きいです。これについてはソニーは出来る限りサードパーティーがソフト開発しやすいように開発機材を安く提供したりして開発環境を整えたんですが、任天堂はそれをしなかった。むしろ、独自の仕様で開発を難しくしていたようです。

内山:「サードパーティを大切にしたかどうかで勝負が分かれたわけですね」

まあ、結果的にはそうなりますね。ただ、一つ言っておきますが、だからと言って64のゲームが面白くないとかそういうわけではないですからね。マリオカートなど面白いゲームもしっかりあります。

NINTENDO64の次世代機登場!しかし…

そんなこんなでゲーム業界のトップの座はPSに取って代わられ、時は過ぎました。しかし、任天堂はそんな状況を打開すべく次世代機の開発を進めました。そして、2001年に「ゲームキューブ」を発売します。

岡崎:「ついに任天堂から『カセットじゃない』ゲーム機が登場!」

内山:「カセットにこだわりますね~」

前回の反省も生かして、サードパーティも参入できるようにしたゲームキューブでしたが、思ったほど普及しませんでした…。64とは逆に国内はそれなりだったんですが、海外はいまいちでした。理由はこのとき世界的大ヒットとなったゲーム機『プレイステーション2』が既に発売されていたからです。

内山:「相手が悪かったですね…」

プレイステーション2は世界累計販売台数1億台を超えるモンスターゲーム機でした。またもや、ソニーが任天堂の前に立ちはだかったのです。しかも、日本ではあまり普及しませんでしたが、同じ時期にマイクロソフトも「Xbox」を発売して家庭用ゲーム業界に参入してきました。

内山:「うー。惜しい!頑張れ任天堂」